今日、9月30日はクリニックがオープンし6周年になる。2011年の9月30日にHIKARI CLINICはオープンした。これはアイソレーション タンクの発明者であり、サイケデリックの求道者、精神科医のジョンCリリーの命日であり、また当時唯一のタンクサロンである白金のECCOのオープンした日でもあった。そんな奇妙なシンクロニシティに導かれてHIKARI CLINICはスタートした。
当初は医者1名スタッフ2名の体制の中で一人一人の診療に集中しながら、また自分自身が年間300回以上のタンクに入りながら、ひたすらに自らの内側への探求と、患者の病を内的な死と再生のドラマとして捉え、治療として再現する場、としてのクリニックがそこにあった。
それから6年クリニックのメンバーが増えるに連れて、我々の関心も内的な探求、そして成長から患者自身の成長、社会復帰へとシフトしていった。それはクリニックの無意識に流れる内から外への力動、リワークや発達障害の支援、グループワークへと発展していった。
それは現在のクリニックのコンセプト、内的探求の場としての「内宮」、外部へとつながる場所としての「外宮」というHIKARI CLINICのコスモロジーに繋がってゆく。また伊勢神宮と出雲大社の対極性の投射図でもある。
医師、アイソレーションタンク、受付スタッフ、心理士、ソーシャルワーカーなど多職種がそれぞれの役割を果たしながら患者の傷つきを受け止め、癒し、成長を促し、自立させるある種の治療システムという生態系がクリニックの中に生まれつつあるのを感じている。
これは患者の成長発達と、我々の成長が常にパラレルに進行していることを意味する。そしてそのモチベーションは「楽しさ」だ。我々は結局セラピーという行為を通じて、患者と遊び楽しみ、スタッフ同士で遊び楽しみながら交流しているのだ。様々な技法を試し、開発し、直感を用いて試し検証する。
そういう遊びと実験精神、患者と共に成長してゆこうというおおらかさが治療文化として生まれようとしている。最初の理想として西海岸のエサレン研究所があったが、我々はより現代的に実効性に基づいたオルタナティブを志向する。効かないものには興味がない、だ。
悟りすらも退屈だ。
さあこれからどこに行こうかの。