去る3月11日、時は東日本大震災への哀悼の意に包まれる日本列島のその日に、院長は大阪でアマチュアパンクラスことJMMA主催の大阪ケージファイトに参戦してきました。
これはアメリカUFCに代表される何でもありの格闘技、英語ではMixed Maecial Arits通称MMA、ブラジル語では何でもありを意味するバーリトゥード、日本語では総合格闘技のアマチュアでの試合です。
大学生時代はプロフィールにもあるように日本拳法とフルコンタクト空手で、各地のオープントーナメントに挑戦していたこともありました。その後は精神医療の世界にずっぽりとはまり、20年は格闘技と無縁の生活をしていたのですが、齢44歳の時に、「このまま一生総合格闘技という格闘技の最も高い山を登らずに一生を終えられるのか」という問いに突然天啓のように打たれまして、それ以来週に2〜3度の練習を3年に渡って続けてきました。そして遂にアマチュアとはいえ、金網の中のなんでもありの試合に挑むチャンスが訪れたわけです。
1月の初旬に出場を決めてから、1月は筋トレでの肉体改造に始まり、2月は5kgの減量に挑み、仕事が終わってからの週3〜4回の練習の毎日。遅くなれば深夜に及ぶ練習の日もありました。
試合の日まで、自分の足りない部分、欠けている技術をどう補うか、課題を決めて日々穴を埋めることに専念しました。練習の合間をぬって、スタミナ作りと減量のために週の2回は10キロのジョギングも行っていましrた。漫画でみるボクサーのような生活です。
特に精神力を試されるのは減量です。この年齢になると基礎代謝も低下して、体重がなかなか落ちにくくなります。そのためには日々の運動と、食事制限が大切になります。私は普段から糖質制限のダイエットを実践していますが、減量では1日糖質20g以下の厳密な糖質制限を試みますし、更に最後の1週間はほぼ完全な絶食状態でした。
減量も後半に差し掛かると、試合の自体よりも、一刻も早く減量が終わって欲しいという想いに変わってきます。とにかく一刻も早く相手をなぎ倒して、食事と摂りたいという想いが強くなってきます。
こんな風に試合の日を目指して、コンセントレーションが高まってゆきます。肉体も精神も最高の状態でその日を迎えなくてはなりません、そのコンディション作りが難しいのです。日々自己との対話でした。
普段は精神科の医師をしながら、患者さんに無理をしないように、穏やかに生きられるための方法を説くはずの精神科医師が、毎日極限までストイックな闘争の準備をしていることに違和感を抱くかたもいるかもしれません。威嚇的に感じて怖いと思う方もいるかもしれませんね、戦う理由とでもいいましょうか。
こうやって自分でクリニックを構えてその長として仕事をしていると、偉くなったつもりになって慢心をしてしまうのではないかという不安に駆られます。自分の年齢や肩書などが関係ない、本当に実力主義の場所で自分を試したいという欲求が湧いてきます。そのチャレンジの中で自分自身を感じたい、自分自身がやれる人間だということを実感したいという欲求です。それが毎日の練習であり、職業や年齢、体重や立場の違うジムメイト達とのスパーリングだったりします。長い一日の診療を終えて、そのまま自転車でジムに向かい、20歳以上若い若者達と本気のスパーリングをする。互いに負けたくない一心で取っ組みあったりします。その中での相手との気持ちの交感があったり、自分自身の肉体や楽したいと思う気持ちとの対話であったりします。そして練習が終わり、家に帰った時に今日も一日生ききったと思う一瞬の自己満足が、最大の報酬だったりします。
日々の精神科診療のなかで、患者さんの様々な悩みや苦しみを受け取っているなかで、怒りや憎しみ、悲しみや無力感など、想いの網が幾重にも自分に覆い重なり、がんじがらめになるような身動きのとれなさやを感じることがあります。格闘技の練習で相手に殴られる瞬間に、その網が粉々に砕け散るのを感じます。普段の作業の繊細さを極端に対極的な衝撃で発散しているともいえるでしょう、ストレス発散といってもいいかもしれません。
どんな立派な洋服を来ても、高価な車に乗っても、どんないい家に住んでも、格闘技には全く関係ありません。裸一貫で勝負するしかない。そこにはこころとからだしか無いんですね。ジャージと自転車でふらっとジムに行って、ボロボロになって帰る。その気軽さが良いんですね。
長くなりました。試合当日。減量は何とか達成。試合の朝に70.3kgリミットジャスト。後は試合に挑むのみです。試合動画は以下の通り。
結果は判定負け。相手は20代前半の打撃系ストライカー。こちらも打撃系で試合開始とともに殴り合い。互いに良いのが一発入ったことで熱くなってしまい。その後2ラウンドひたすら殴り合うというハードな展開になってしまいました。途中私の鼻血の出血が酷く、試合を止められるシーンがあり、そのダメージを取られて判定負けになってしまった印象です。試合直後は悔しくて悔しくて、負けたことが全く受け入れられませんでした。勝つことしか考えてなかったもので。勝つと負けることは天地の違い。本当に負けたくなかった。そのためにできる最大のことをやってきたつもりでしたが、まだまだ甘かったようです。
ただ負けたことで課題も見つかりました。精神的な試合経験の不足が露呈しました。熱くなりすぎて練習してきた組技寝技が全くだせなかったこと。自分より身長が高い選手との試合を想定してこなかった慢心さなどです。そしてコンディション作りの重要さも。
またしばらく休んでダメージを回復してから、体づくりからもう一度出直してやってゆきます。そう戦う理由のもう一つは、意識の若さは肉体の限界を超える、常に自分の想定した限界を超えてゆくことのチャレンジが戦う一番の理由です。いつでも新しい自分にであえるように生きてゆきたいと思っています。